ご無沙汰しております。
前回記事をUPしてからもう1年も経っていました。
2011年 3月 11日 14時46分
マグニチュード9.0の大地震、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
うちは埼玉ですが、震度5強という生まれて初めての怖い揺れを経験しました。
当時、一歳半の娘を昼寝させようとベッドでウトウトしていた時。
ティロン ティロン・・・
聞いたこと無い不思議な音。良く聞こえないけどなんか言ってる。
緊急地震速報 大地震です
えっ!?
グラグラグラと揺れだし娘を抱いて様子を伺ってたけど、揺れはどんどん大きくなる。
これはダメだ。
急いで外へ出ようと娘に上着をかけ、玄関を開けたとき食器棚が倒れた。危機一髪。
お隣さんも外に出ており、収まるまで一緒に待機。
いつまでもグラグラ揺れている感じだったが一旦家に戻ってみると、倒れた食器棚は玄関から部屋への通りを塞いでおり、飛び散った食器の9割が割れていた。
それよりもなによりも 水槽。
水槽は90×60、60×60、小型水槽があったんだけど、もう一面水浸し。
床上浸水?ってぐらい。 うち2Fなのに。
60の方はそんなにこぼれてなかったけど90の方は恐ろしく水が減ってた。
とにかく食器棚をどうにかしないと家ん中に入れないので、娘をベビーカーに乗せ片付けしました。
小型水槽なんか、流木やら水草やらが全部右に寄ってた。
一通り終わったところでTVをつけると、あの津波の映像。
そこで初めてとんでもない事が起こったんだ と思ったんだけど、続く余震にまず考えた事は水槽の撤去でした。
魚は手放したくない。
水槽もやめたくない。
でもまたこんな地震がきたら。
今は小さい子供もいる。
悩んで迷って考えて、小型水槽だけ残しあとの2本は撤去することにしました。
もちろん魚たちも。
なので今はオスカーはいません。
スネークヘッドもいません。
ポリプもいないんです。
SHOPに引き取りにきてもらい、お兄さん2人が1時間もかからず水槽を引き上げていきました。
そして、広くなった部屋には水槽台の裏にあった埃や落ちたエサなど、今まで見えなかったものがありました。
うちってこんなに静かだったんだ。
モーターの音や濾過槽から落ちてくる水の音がありません。
前に、ブロワが止まった時の違和感を超える違和感。
自分ちじゃないみたい。
急に虚しくなって呆然と水槽があった跡を眺めていました。
今は40cm水槽のみ。
”お父さん”ことホルスタインタティアは健在です。
ちゃんと書いておきたかった。
魚も水槽も手放したくはなかった。本音はね。
どうしてるかなぁ〜とは思う。
でも手放した以上、何も言えない。
やっと時間ができて、やっと書きたかった事が書けました。
ブログ、どうすっかなぁ〜
小型魚のみでも続けていくか。
いつかまたオスカーやSHを飼う日がやってくるかもしれないから。
それにしても、あれから1年8ヶ月。
地震だけじゃなく津波や原発事故、東日本大震災が起こったのはまだ去年のことです。
なんかいろんな事が無かったことになってる気がして。
正直、あの津波の映像はもう見たくない。
だけど起こった事、被災地の事、原発作業員の方たちがいる事を絶対に忘れちゃいけない。
まだ終わってないってことをね。